「桜花賞男」と称される河内にとっても

直前の調教カツラギエース コスプレ衣装では1000mで60秒を切る好タイムを記録、調教パートナーを4、5馬身突き離していた。こうした情報がファンにも伝えられ、新馬戦から単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースもスタート直後から先頭に立つと、最終コーナーからは後続を突き離す一方で、2着に約20馬身差、3秒1の大差を付けて圧勝した。次にGⅡの京成杯3歳ステークス(11月3日)に出走。デビュー以来圧勝を続け、ラモーヌのライバル的存在であったダイナアクトレスとの対戦が注目を集めたが、同馬は故障で出走を回避、当日は牡馬ダイシンフブキ(同年の朝日杯3歳ステークス勝馬)を抑え単勝1番人気に支持された。しかし、スタートで他馬と衝突して興奮した影響から終始掛かり通しとなり、直線で失速して5頭立ての4着に敗れた。競走後には疝痛、さらに骨膜炎(ソエ)を発症して調教を控える。しかしすぐに回復し、4週間後には条件戦に出走、小島が同日に阪神競馬場で騎乗していたため、本競走より柏崎正次が騎手を務めた。レースではほとんど追うところなく、2着に1馬身弱の差で勝利を収める。2週間後、当年の最終戦としてGⅢのテレビ東京賞3歳牝馬ステークス に出走。当日は単勝2番人気であったが、2着ダイナフェアリーに3馬身半の差を付けて勝利。人馬ともにキャリア初の重賞制覇を果たした。勝ちタイム1分34秒9は、当時の3歳牝馬としては破格の好記録であり、当時3歳馬で1600メートルを1分35秒を切るタイムを記録したのはメジロラモーヌの他にはマルゼンスキー(76年朝日杯3歳S・1:34.4)、コーネルランサー(73年ひいらぎ賞:1.34.6)の二頭だけだった。次走は桜花賞に備え関西に移動、トライアル競走の報知杯4歳牝馬特別に出走した。ラモーヌが3歳の頃から、関西で出走する際には河内洋を騎手とする方針が決められていたため、予定通りこのレースより河内が騎手を務め、以後引退まで鞍上を務めたメジロラモーヌ コスプレ衣装

 

 

レースでは中団から後方を進んだが、第3コーナーで失速後退してきた先行馬の影響を受け、直線入り口でほぼ最後方の位置まで下がった。しかし直線では一気の追い込みを見せ、ゴール寸前でチュウオーサリーをクビ差交わしての勝利を収めた。この勝利から、当時史上最強牝馬の1頭と目されていたテスコガビーとの比較が関係者・ファンの間で頻繁にかわされたほどである。そして4月6日に迎えた桜花賞、5枠13番で単枠指定を受け、オッズ1.6倍の1番人気となった。競走前には焦れ込む様子を見せたが、レースでは中団に付けると第3コーナーから先団に進出、直線で早めに抜け出し、追い込んだマヤノジョウオに1馬身3/4差を付けて優勝、クラシック初戦を制した。馬主のメジロ牧場にとって初のクラシック制覇であり、後に「桜花賞男」と称される河内にとっても、これが最初の桜花賞勝利であった。当日は桜花賞の人気を上回る支持を集め、単勝オッズは1.4倍まで下がった。レースではスタートで躓き後方からの運びとなる。しかし埒沿いの最短距離を通って徐々に先団に進出すると、最後の直線半ばで先頭に立ち、ユウミロク(後の名障害馬ゴーカイの母)に2馬身半差を付けて優勝。1976年テイタニヤ以来10年振りの牝馬クラシック二冠を達成した。また、サンケイスポーツ4歳牝馬特別の優勝馬による同レース勝利も、これが初であった。その競走内容は往年の名騎手・野平祐二が「オークス史上稀に見る強さ」と評し、鞍上の河内もインタビューにおいて「テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな」マチカネタンホイザ コスプレ衣装と語った。